シャネラー、ダッチャーはやがて姿を消し、第三次ブランドブームは沈静化した。インポートブランド市場は一九九六年を境に再び減少傾向に転じ、実は今でも大きく息を吹き返してはいない。市場規模は一兆三〇〇〇億円あたりをうろうろとしているだけだ。では、なぜ今第四次ブランドブームとされるのか。一つには、二〇〇一年九月一一日のアメリカ同時多発テロの後、海外旅行を控え、国内での消費にその費用をあてる日本人が多かった。消費が高級ブランド品に向かったため、インポートブランドの売上が一時的に復活したのだ。と同時に、ブランドが相次いで「旗艦店」と呼ばれる大型の路面店をオープンした。銀座地区は今やブランド店の草刈場だ。大型店のオープン前にはお約束のように行列ができ、限定品が完売となる。こうした積極果敢なブランドの出店戦略とそれに呼応する消費者の動きが目立ったことから、第四次ブランドブームといわれている。しかし、このブームはどのブランドも好調だった第三次ブームとは様相が異なる。売れるブランドと売れないブランドとに明暗がはっきりと分かれているのだ。売れるブランドの筆頭とはいうまでもない、ヴィトンである。逆に元気がなくなったのは、プラグやフェラガモ。宝飾品のティファニーやカルティエ、ブルガリも息切れ気味だ。好調組としては、ヴィトンやエルメスよりもワソラソク下の「アクセシブルソーソ」と呼ばれる中価格帯のブランドがある。ヴィトンの、、バッグが10万円前後なら、このゾーンのブランドは五、六万円前後といったところだ。イタリアのフルラ、バリー、フランスのロンシャン、アメリカのコーチといった面々だが、中でもコーチは、アメリカ映画『ワーキングガール』にも登場したキャリア向けの革製バッグの老舗ブランドという顔をかなぐり捨てて、露骨に若い世代の獲得に打って出ている。海外では日本にしか進出をしていないコーチは、いきなり一八〇度のイメージチェンジを図り、質実剛健なブランドから、オシャレなブランドに変身した。日本人が弱いロゴ入りの。バッグ(Cの文字の入った布製の。バッグ)を中心に、店に毎月新製品を投入し、限定品を多数売り出す手法は、期待通りの成果を上げて、この二年で日本での売上は倍増した。最初から日本の若い女性を狙った変身劇だったと見るのは、うがちすぎたろうか。コーチージャパンによれば、コーチの。バッグを購入する客の三人に二人は、コーチの前にヴィトンやダッチ、エルメスといったワソラソク上の価格帯のブランド品を購入しているそうだ。もしそれが本当ならば、女性たちは流行りのブランドであるかどうかを物差しにブランド詣でをしていることになる。目本人の女性たちは、文化や歴史に触れてブランドのファンになるのではなく、流行によって買うブランドを変えていることになる。しかし、それを許した、というより招いたのはブランド自身である。明治維新から100年近く一部の特権階級の愛用品であり続けたブランドは、こうして次第に大衆化を果たし、大学生に広がり、ついに高校生にまで広がった。大衆化と低年齢化の両方を実現し、ティーンにまで愛されるようになった日本の海外ブランドはこれからどこへ向かうのだろうか。かつてピエールーカルダンのロゴが入った製品があふれていた時代があった。一九七〇年代の話だ。ハンカチ、タオル、シーツ、靴。果ては、便座カバーからトイレ用スリッパ、お菓子のパッケージ、カーテン、照明器具まで、部屋の中をすべてカルダン製品で占めることも不可能ではないほど、その種類は多かった。イブ・サンローランもしかりだ。カルダンほどではなかったが、YSLのロゴの入ったサンローラン製品も氾濫していた。カルダンやサンローランがブランドだとすれば、あれらもまた、ブランド品だったのだろうか。便座カバーもブランド品といえるのだろうか。答えはYESである。国内企業がカルダンやサンローランに高額のライセンス料を払って製品化したライセンス品はまぎれもないブランド品だ。ここでは、ブランドのもう一つの顔であるライセンスブランドの仕組みと現状を取り上げたい。