資生堂は東京の全百貨店にマネキンを派遣して歯磨き「ニューミックス」の宣伝である「資生堂ニューミックスデー」を開催した。全マネキンに同一の洋装制服(後にユニフォームと称される)を着せてプラカードを持たせての、全店一斉のプロモーション活動であった。その後同プロモーションは大阪の百貨店でも開催され、「動くモデル」としてマネキンは注目をあびたのである。このように昭和初期は東京を中心にマネキン文化が栄えるが、昭和六年には銀座通りに柳が植えられ、「巴里のマロニエ、銀座の柳」と歌われた時代であった。そして、マネキンによる華やかな宣伝活動が大成功を収めた実績が、昭和九年にデビューする「ミスシセイドー」に繋がっていく。ちなみに日本における「ミス着物」「ミス東京」など「ミス」という表現はこの時の「ミスシセイドー」から始まったものである。この時代の華やかな化粧品業界のイメージは、相次いで新規参入メーカーを誕生させていくが、すでに大正末期の一三年ハリウッド株式会社が誕生、昭和二年丹頂(現マンダム)の前身である金鶴香水株式会社、久保政吉商店(現ウテナ)、昭和五年フッカー、テルミーなどが創業を始めている。同様に既存のメーカーにおいても、各社大型の新製品ブランドの発売が相次ぎ、七年には桃谷順天館から、明色ブランドでクリンシンクリーム他計五品の新製品を発売、資生堂では同年ドルックス化粧品などの大型ブランドが順次発売になった。
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