ある日、ウィンドウにふと映った自分の姿を見て、愕然とした。そこにいたのは、ただの地味な東洋人の女だった。こんなに素敵なミラノの服を着ているのに、素敵に見えない。ミラネーゼに似合う服が、私を素敵に見せてくれるとは限らないのだということに、その時初めて気がついた。自分の個性や、何が自分をきれいに見せるかということに対しての判断が甘く、何となく漠然と好みだけで服を着てきたのだと私はつくづく思い知ったのだった。その日から私は、着る服が決まらない、何を着ても素敵に思えないという状態に陥った。自分にはミラノの服は似合わない。それは日本人だからだろうか。日本人がきれいに見える服というのはないのだろうか。私は必死で考えた。しかしそれが西洋で生まれたものである以上、西洋人よりさらに美しく見えるというのは、絶望的な気がした。コムデギャルソンやイッセイミヤケの服だって、あんなに海外で評価を受けるのは、実のところ何より彼女たちを美しく見せるからだと私は思っている。